五十にして天命を知る
「五十にして天命を知るというが」などのように使う「五十にして天命を知る」という言葉。
「五十にして天命を知る」は、「ごじゅうにしててんめいをしる」と読みます。
「五十にして天命を知る」とは、どのような意味の言葉でしょうか?
この記事では「五十にして天命を知る」の意味や使い方について、小説などの用例を紹介して、わかりやすく解説していきます。
五十にして天命を知るの意味
「五十にして天命を知る」には次の意味があります。
・50歳になってはじめて自分の人生についての天命・運命が何であったかがわかる。(出典:デジタル大辞泉)
人間は、50歳ごろになると、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになる、ということを意味しています。
孔子の『論語』の「為政」から生まれた言葉で、この章は、「十有五にして学を志す」から始まって、「三十にして立つ」、「四十にして惑わず」と続き、以下、「六十にして耳順う」、「七十にして己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず」(七十にして矩を踰えず)と続いています。
小説などでの具体的な使い方・例文は下記の通り。
使い方・例文
・ははあ、五十にして天命を知るとはこういうことだったのか、と私は嗤(わら)った。
(出典:秋山駿『人生の検証』)
・孔子が「五十にして天命を知る」といつたのと照合して味つて見たい一章である。
(出典:下村湖人『現代訳論語』)
・また五十にして天命を知るといったが、なるほどその知り得た天命に根柢から背くような事はしなかった。
(出典:下村湖人『論語物語』)
・「五十にして天命を知る」 という孔子のことばがある。
(出典:海音寺潮五郎『史談と史論(下)』)
・四十にして惑はず、五十にして天命を知る。
(出典:田山録弥『スケツチ』)
・父は、五十にして天命を知るという歳なのに、どこかまだ少年のようなところがある。
・まだ焦らなくても大丈夫。五十にして天命を知るというだろ?若いうちは、色んなことにチャレンジして失敗も色々と経験したほうがいい。
・この歳になって初めて、自分はどう生きればわかった気がするよ。まさに、五十にして天命を知るだな。