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白河の関とは?意味、類語、使い方・例文をわかりやすく解説

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白河の関

「白河の関を超えた」などのように使う「白河の関」という言葉。

「白河の関」は、「しらかわのせき」と読みます。

「白河の関」とは、どのような意味の言葉でしょうか?

この記事では「白河の関」の意味や使い方や類語について、小説などの用例を紹介して、わかりやすく解説していきます。

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白河の関の意味

「白河の関」には次の意味があります。

福島県白河市にあった古代の関所。勿来(なこそ)の関・念珠ヶ関(ねずがせき)とともに奥州三関の一。(出典:デジタル大辞泉)

現在の福島県白河市に実際にあった関所のことで、奈良時代から平安時代ごろに機能していました。
蝦夷(古代、東北地域に住み、中央とは異なる生活・文化様式で暮らしていた、中央政府に服さなかった人々)が南下するのを防ぐために、大和朝廷により設けられました。
都から陸奥国に通じる東山道の要衝にあることから、奥州の玄関口とされていました。
関所として機能しなくなってからは、都の文化人たちの憧れの地となり、白河の関を訪れては和歌や俳句に詠む、という歌人・俳人も多くいたようです。
関所跡は、白河市内の栃木県那須町との県境から約3キロほどのところにあり、国指定史跡に指定されています。
現在でも白河の関は「東北への入り口」という認識があり、東北へ行くことや、東北に何かしらの流行が到達することなどを「白河の関越え」と表現されることがあります。

小説などでの具体的な使い方や類語は下記の通り。

使い方・例文

白河の関の跡を北へ少しばかりゆくと、旗宿という宿場がある。
(出典:山田風太郎『忍法鞘飛脚』)

白河の関を越えて、奥州地方に行ったことのないことも事実である。
(出典:海音寺潮五郎『さむらいの本懐』)

・むかし、京都から諸国修行に出た坊さんが、白河の関を越こえて奥州に入はいりました。
(出典:楠山正雄『安達が原』)

・「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」の歌で有名な平安中期の歌人。
(出典:大岡信『名句歌ごよみ[春]』)

・白河口を守っていたのは会津と仙台の連合軍で、兵力はゆうに二千を越え、白河の関から官賊を一兵も入れないと豪語した。
(出典:星亮一『最後の幕臣 小栗上野介』)

類語

勿来関/勿来の関(なこそのせき)
意味:福島県いわき市勿来町にあった奈良時代以来の関所。海沿いに常陸国から陸奥国への入り口にあたり、白河・念珠(ねず)とともに奥州三関の一つ。はじめ菊多関と呼ばれた。多く、来るなを意味する「な来(こ)そ」とかけて用いる。(出典:精選版 日本国語大辞典)

念珠関/念珠ヶ関/鼠関(ねずがせき)
意味:古代、越後と出羽の国境(現在の山形県鶴岡市鼠ヶ関)に置かれた関所。勿来の関・白河の関とともに奥州三関の一。ねんじゅのせき。(出典:デジタル大辞泉)

奥羽三関(おううさんかん)
意味:蝦夷対策として陸奥国におかれた白河関、勿来(なこそ)関、念珠(ねず)関を奥羽三関ともいう。(出典:世界大百科事典)

三関(さんかん/さんげん)
意味:古代、都の防備のために設けられた三つの関所。平城京の時は、伊勢の鈴鹿(すずか)、美濃の不破(ふわ)、越前の愛発(あらち)。平安京に都が移ると、愛発の関が除かれ、近江(おうみ)の逢坂(おうさか)の関が加えられた。(出典:デジタル大辞泉)

奥羽(おうう)
意味:陸奥(むつ)国と出羽(でわ)国。今の東北地方。青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島の6県。(出典:デジタル大辞泉)

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