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ドーハの悲劇とは?意味や使い方・例文をわかりやすく解説

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ドーハの悲劇

「ドーハの悲劇を思い起こす」などのように使う「ドーハの悲劇」という言葉。

「ドーハの悲劇」は、「ドーハのひげき」と読みます。

「ドーハの悲劇」とは、どのような意味の言葉でしょうか?

この記事では「ドーハの悲劇」の意味や使い方について、小説などの用例を紹介して、わかりやすく解説していきます。

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ドーハの悲劇の意味

「ドーハの悲劇」には次の意味があります。

カタールのドーハで1993年10月28日に行われたサッカーのワールドカップ(W杯)米国大会アジア地区最終予選で、本大会への初出場をかけて最終戦に臨んだ日本代表チームが後半ロスタイムに失点し、予選敗退に終わったことを指すことば。(出典:デジタル大辞泉)

それまでワールドカップに出場したことがなかったサッカー日本代表が、それまでグループリーグ1位で本選への出場がほぼ確定していたところ、最終戦であるイラク戦で、2-1の1点リードで迎えたロスタイムで同点ゴールを決められ、引き分けで試合終了となりました。
引き分けではあったものの、韓国が勝利したことで得失点差で逆転され、グループリーグ3位に沈んだ日本は本選出場を果たすことができませんでした。
本選出場が手に届くところにあったにも関わらず最後の最後にその機を逃してしまったことから、日本サッカー史では、この試合が行われた場所、カタールの首都ドーハになぞらえて「ドーハの悲劇」として語り継がれています。

小説などでの具体的な使い方・例文は下記の通り。

使い方・例文

・日本人は、あの「ドーハの悲劇」を、何か特別のことと考えているかもしれない。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

・もちろん、ドーハの悲劇は、世界のサッカー史にも特筆できるほど劇的で手のこんだものだったが、ドラマのあら筋自体はそれほど珍しいものではない。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

・「ドーハの悲劇」がきっかけでのめりこむという、「いるいる、そういう奴」と生粋のサッカー・ファンが鼻で笑う類の一人である。
(出典:野沢尚『龍時(リュウジ)1─2』)

・そういう国、つまり、ワールドカップ優勝経験を持つのは、「ドーハの悲劇」の時点でわずかに六つの国しかなかった。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

・「ドーハの悲劇」に、深夜にもかかわらず、五〇パーセント近い視聴率を記録した生中継を見ていた日本中が沈み込んだ。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

・いわゆる「ドーハの悲劇」の瞬間に、日本人にとって、ワールドカップは初めて「悲願」となったのである。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

・「ビッグ4」との差を縮め、そしていつの日にかそれをひっくり返して、日本がワールドカップで優勝を狙うようになるには、とりあえず「ドーハの悲劇」クラスの経験を、ひとつひとつ、今度はもっと上のレベル、つまり本大会で積み重ねていくしかない。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

・ワールドカップの歴史をひもとけば、「ドーハの悲劇」のようなドラマは、地域予選から決勝戦まで、いくらでも見出すことができる。
(出典:後藤健生『ワールドカップの世紀』)

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