倦怠
単体で使うよりも、「倦怠感」「倦怠期」のような使い方の方が多いかもしれません。
また、動詞として「倦怠する」という用法もあります。
精神的・身体的、二通りの意味合いがありますが、いずれも大切なSOSのサイン。
この記事では「倦怠」の意味や使い方について、小説などの用例を紹介しながら、わかりやすく解説していきます。
倦怠の意味
倦怠(けんたい)には二つの意味があります。
1 物事に飽きて嫌になること。飽き飽きすること。
2 心身が疲れてだるいこと。(出典:デジタル大辞泉)
それぞれの意味や使い方については、下記のとおりです。
倦怠の意味① 「物事に飽きて嫌になること。飽き飽きすること。」
倦怠の一つ目の意味は、同じことを繰り返しているうちに、飽き飽きして嫌気がさしてしまうことです。
人間関係、特に夫婦関係などでは、「倦怠期」などのように使われます。、
長年一緒に暮らしているうちに、新鮮さがなくなり、どうにもいやでたまらなくなったりする心の状態をいいます。
使い方・例文
・すると今度は、その閉じ切った部屋の中から、本当の倦怠が生れ出した。 しかし扁理自身はその本物も贋物もごっちゃにしながら、ただ、そういうものから自分を救い出してくれるような一つの合図しか待っていなかった。
(出典:堀辰雄『聖家族』)
・一日に二度ほど倦怠の波が壁のなかから霧のようにしのびよって来る。 第一波は朝の十時すぎ、第二波は午後の三時すぎである。
(出典:開高健『青い月曜日』)
・僕は倦怠を観念して生きてゐるのだよ、 煙草の味が三通りくらゐにする。
(出典:中原中也『山羊の歌』)
・というのは不幸や倦怠や絶望がわれわれの呼吸するこの空気の中にあるからだ。 だから、こういう汚染した空気にたえ、公共生活を精力的にいわば身をもって浄化してくれる人にわれわれは感謝し、戦士の栄冠を捧げる義務があるのだ
(出典:。アラン/宗左近訳『幸福について(下)』)
・もう幾つ寝ると学校や幼稚園が始まるかという事が幼い子等によって毎日繰返されるようになった。 そう思って見るせいか、子供等の顔にはどこかに倦怠の影がうかがわれた
(出典:寺田寅彦『小さな出来事』)
・同じような場面の繰り返しが多すぎて倦怠を招く箇所が少なくない。
(出典:寺田寅彦『映画雑感(Ⅲ)』)
倦怠の意味② 「心身が疲れてだるいこと。」
倦怠の二つ目の意味は「心身が疲れてだるいこと」です。
疲れ果ててしまって、体を動かすのも億劫だったり、動けなかったりする状態。
時には、心身の病気が原因で、倦怠感に見舞われることもあります。
いずれにしても、適切な処置が必要ですね。
使い方・例文
・粥を食べ終ると、彼は下駄を履いて散歩に出かけた。 五十メートルも歩くと、彼は全身に倦怠を覚え、歩くのが億劫になった。 「どこか本当に病気の部分ができたのではなかろうか」と、彼は心細くおもった。
(出典:吉行淳之介『砂の上の植物群』)
・アラタップは、自分の泥のような倦怠が一部消えていくのを覚えた。
(出典:アシモフ/川口正吉訳『暗黒星雲のかなたに』)
・いま伊織に訪れている倦怠は肉体的なもので、精神的なものとは無縁である。
(出典:渡辺淳一『ひとひらの雪(上)』)
・第一期では倦怠感や疲労感に襲われ、ときどき発熱を起こす程度だ。この段階で治療を行わないと、二週間から数年の潜伏期を経て、今君が見た鞭毛虫が脳に進行する。
(出典:初野晴『漆黒の王子』)
・体力的にも自ら頭痛や全身倦怠に苦しめられながら六千人の患者を診るということが、どんなに大変なことであったか。 原爆という巨怪の鎖を解き放した米国自身すら、その正体を捉めなかった当初は、被爆者から白血病患者が多発している事実には気がついても、その両者の関連を学問的に実証するものはなかった。
(出典:森村誠一『分水嶺』)